娘「いのちってはかないでしょ。だからそっとつつんであげるの」
私「どこでおぼえてきた?」
娘「じぶんで考えた」
うそだろー
私「はかないってわかる?」
娘「きえることでしょ?」
私「・・・」だいたい合ってる。
詩人になるメメに癒された。今日のお風呂の時間。
ここからは私の内面的なお話で、ちょっとダークです。
ただこんな時にも成長を感じて、うれしい、もう赤ちゃんじゃないことがさびしい。
私がいなくても何とか生きていけるんじゃないかと思うと、少しさびしい。
どんどん大人の言葉を覚えてそれで表現するようになって、
この前なんかは
娘「早く大きくなりたい」
私「どうして?保育園つまらないの?」
娘「みんながかわいくて、たのしいよ」
私「…(みんながかわいい?)うん、でどうして?」
娘「早くママの言葉全部わかってあげて、オトナだけのはなしがわかるようになりたい」
なんだろうこの子は私とコミュニケーションするときにもどかしいのかもしれないって感じた。
あーあと思い出した。メメとちょっとケンカしたときわた私が「ごめんね」って謝ったら、
「ママはごめんなんていわななくてもだいじょうぶ、メメわかってるから」
だって。
そんなこと言わせちゃっていいのかな…
私が生きているのはメメが私を必要としてくれているからで、いなければ、そんな覚悟はないけれど、自分などどうにでもなってしまえばいいと思っている。と言う割にはスズメバチが近づいたとき、真っ先に逃げてしまった。
自己犠牲のようなことを言う人間が一番、自分本位なのかもしれない。
『メメは私じゃないとだめ』なんて、もうそんなとっくに時期は過ぎて、私も一人の人間としてちゃんとまっとうに生きていかなきゃけないのかもしれない。
何かがあったらいけないから、なんでも一人でできるようにとお手伝いをしてもらったり、自分のことは自分でといって聞かせて、早く大人になるようせかしてしまったかもしれない。
だからメメはいつもちょっとお姉さんで、私の前ではお母さんになったりお釈迦様になる。
メメは眠くなったりしても不機嫌になることも少なくなったけれど、それでも時々甘えん坊になる。私はそれに驚いてしまう。「あれメメってこんな子供だったっけ」っと。そしてうれしさとめんどくささを感じる。
まだまだ子どもなのに、大人にならざるおえなかった子どもは大きくなったらどうなるんだろう。
私のようになってしまうのだろうか。怖い。
そんなことを心配してメメの先生に聞いてみた。
「パパがその分甘やかしてくれるでしょ?」だって。
確かに。主人の前ではメメは子どもだ。こんな無邪気な子どもだったかともうくらい。
私の前ではいいお姉さんでいなきゃいけない、もしくはお姉さんでいたいと思わせてしまってるのはやっぱり事実で
それを悲観して「私は悪い母親」だと自分を責めたときもあったけれど、私は自分勝手な人間だからもう悲観というスタンスに逃げているだけで、現状を変える気がないと気付いて格好だけの悲観は捨てた。
今できるのは、手を差し出されたら握り返し、メメがして欲しいことには全力でこたえたい。
何か買ってとかテレビもっと見たいとかじゃなくてね。
アップダウンの激しい私を、気遣ってくれてありがとう。そして、ごめんね。
甘えていいからね…ってもう遅いのかな。
勝手だけど、もう遅いって言わないでください。
明日はもっとママが成長するから。