こんばんは。
宇多田ヒカルのFantome(フォンターム)をヘビロテ中のRIKKAです。
※追記:誤記「フォンテーヌ」を「ファントーム」になおしました。申し訳ありません。
歌詞カードの重要性を再認識させる曲たち
歌詞カードを穴が空きそうなくらい見てます。
久々、”歌詞カード”というものの重要さを感じるCDを買いました。
4月にリリースされた「花束を君に」も配信限定だったので、紙ベースで改めて前述の一曲と「真夏の通り雨」を聴きながら詩を読むと、凄かったです。
何が凄かったって、、、なんて表したらいいんだろう。
ちょっとした短編集を読むような感覚で、一曲一曲にストーリー性があって”読む”だけでも愉しい。これが一番しっくりくるかもしれません。
聞き流していてもあんまり気付かなかったんですけど、PC・スマホで見たりカラオケでも歌ったはずなのに...文字になって飛び込んでくる唄で、なぜこの人はこんな間口の広い曲はずなのに、要所要所で琴線をついてくるんだろうって思わされています。
そしてページを摘まんで、めくる感覚は読書と同じ感覚でした。
それは歌詞カードが、いまはブックレットというのでしょうか?これが宇多田ヒカルの写真を数枚集めた部分はツルリとした触感なのに対して、歌詞は厚めのザラリとした手触りに、細めの文字で言葉が綴られていたのも関係しているのかもしれません。
ヒッキーのFantômeは誰へ向けたアルバムか?
全体的に見て私は「喪失感を持った人」と「母であり妻であり、女」、「中途半端な恋心や閉塞感を持っている人」と感じました。
個人的感想を順不同に。
ちなみに全ての歌詞や曲がハマったわけではありません。苦手だったり、よくわからないものはそう書きます。
トラックナンバー11:桜流し
「桜流し」はエヴァンゲリオンの映画テーマソングでもあり、大震災後のたくさんの喪失感を持った人へ向けたと言われている、わかりやすい歌詞です。私が今はいない「あなた」を想って歌っています。
私的だけれど、「喪失感を持った方」が共感しえるわかりやすく、思いを綴り、最後の二行で強い前向きなメッセージを放ちます。
愛で再生するのだと。
ダイナミックな曲調に、死と生を柔らかに感じる歌詞が特徴的で、文学的と言われているそうですが、”遣る瀬無きかな”という一部分を除いて、亡き人への手紙といった印象です。
個人的にはこの曲で、連絡が取れなくなった友人のことや、忘れて無くなってしまった過去の自分へと想いを馳せました。
トラックナンバー3:花束を君に
「花束を君に」は国民的朝の連ドラの主題歌であり、インタビューでも本人が認めているとおり宇多田ヒカルの母・藤圭子さんを謳った唄です。
ご存知の通り、藤圭子さんは、亡くなりました。有名人だけに波瀾万丈で、ゴシップニュースでは、わからない色々なことがあるのでしょう・・・
でも、誰でも母親なしでは存在しえない訳で、それが例え会ったことがなくても、良い想い出がなにもなくとも、自分自身が産まれることは母がいたという何よりもの証拠です。
だからヒッキー本人の言葉を借りるなら、”ポップ”な存在である母を歌うということが本人の癒しになったように感じます。
日本のポップスってなんとなく、恋愛の歌が多いように思います。そして、ビックネームになると世界平和的な話になったり・・・
それはそれ。ヒッキーはすっごい個人的な歌が多いなっという気が多々します。
特別な人で、そんな特別な感覚の持ち主が素直に自分のことを書いているのに、共感できるのはミステリー。
また曲調が柔らかで、歌詞も明るく前向きですが、よく読むと・・・サビ以外は歌詞だけ見ると暗い。「終わり」「苦労」「忘れぬ」「淋しみ」って単語だけとると、悲しくなりますが、曲調と歌詞のバランスで全体的に悲しさを昇華した世界観になっています。
・・・ん?淋しみって言葉「悲しみ」かと思ってましたw
トラックナンバー4:二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎
一番驚いた唄です。非日常を求める妻・母である女性への歌詞がやばい。
これは、「母であり妻であり、女」への歌です。
日々、家族のために縁の下の力持ちとなって働く(外でという意味だけじゃなくて)主婦が、時々日常を忘れたくなる気持がありありと伝わってきて、あるある話。
あーヒッキーも主婦してんだ。そういうスポットライトが当らない気持ち、わかるようになったんだ。ってすごく親近感が沸いてよかった。人間活動の結果で、日常を知ったのでしょう。
普通の主婦とは、やっぱり違う部分はあると想うんだけど、より同世代でいられたことに感謝してます。
主役でいたい、その気持を「私」という言葉を使わずに表し、時々バカンスに連れて行く架空の「僕」が出てきて、そこのパートを大好きな椎名林檎が歌います。
この二人は東芝EMI時代から一緒なので、椎名林檎のアルバムでカーペンターズのカバーもしてるんですよね。二人の声は全然似てないはずなのに、今の方は似てる感じがして不思議です。出産・結婚・離婚・・・経験、、、なんだろう。
歌詞の世界に戻ると、
私も普通の主婦なので、”いつもいいところで終わる”「僕」が欲しいですね。
いいところまでいっちゃたら、一線越えるから越えないでいてくれる「僕」。
でもそんな都合のいい「僕」の前で、女でいられる私。
2時間だけ非日常に連れ出してくれる「僕」が。
この曲の主人公と同じく、幸せの中にいるんだけど、やはり少し閉塞感はあって子どもが産まれるまで、いっぱい主役はってきたから脇役でも、もういいのだけれど時々だれかに特別に想われたいです。
もちろん家族は私を母親として、妻として特別だとおもってくれているでしょうし、代わりがいないのも分かっているんだけれど・・・女性として特別視してもらいたくなる、欲張りですね。今の時代、普通に生活していけるだけでとても幸せだというのに、まして私のようなブレブレの妻を、受け入れてくれる旦那さんに申し訳ない話です。
でも、そういう感覚があるのは残念ながら”確か”なので、願望を抱くのと同時に「僕」が現れないことを祈ってもいます。