FECKLESS-ぶれぶれ主婦webライター

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母と娘と母性について。

本当はこんなネガティブなこと書いちゃいけないのはわかっているけれど、

じゃぁ下書きにしておけばいいのかといったら話は別で、

誰かに見て貰いたいのかもしれない自分の中のどろどろとした感情を。

以前にも母性というものに対して、私は持ち合わせていないかもしれないというようなことを書いたと思う。

 

一日のうち1時間だけ良い母親になれているはずだ。
それ以上は難しかった。

 

夫の出張が重なると、娘と私の二人きりの時間が増える。
それがとても怖い。
私がうまく接することができないことがわかっているから、怖い。
そう思うだけで既に混乱してきて、週末前の夜から泣きたくなるのだった。

 

私は優しい愛に溢れた母親になりたいと、

小さい頃から思っていたけれど、出来ない。

 


「なぜか?」と問われたら

やはり実母が優しくなかったからだと、

実母に責任を負わせるようなことを言うだろう。

 

実母と書いたが、別に養母がいたわけでもなんでもない、

ただ少し病弱な母親だった。

私が大人になるまで生きていられないと宣告された難病で、

いつも思い出すのは病院の廊下の冷たい茶色の合皮ソファー。


でも医学の発展のおかげで三十路をすぎた今でも生きているし、

一緒に暮らしている、世話にもなっているし、

世話もしている、だが私は母親が嫌いだ。

 

嫌いになった原因は、愛された記憶がないからだ。
むしろ憎しみに近い。
思い起こしてみれば、好きになって欲しいと思う気持ちの裏返しかも知れない。

 

私だって母を好きではないという気持ちを、ずっと認めたくなかった。
だって人の子だから母を慕うのは当たり前じゃないかという前提があったからだ。
ただ気づいてしまった。

 

子どもに優しくしないと私のように母を嫌いになってしまうと。
その時が「ああ私は母の事が嫌いなのだ」と気づいた瞬間だった。

 

母みたいにはなりたくない。


だが、母のようになっている自分がいること。
認めたくないが、それが事実である。

 

母は私が幼いとき、ほとんど遊んでくれなかった。

思い出すのは後ろ姿。

いま私は同じことを娘にしている。

 

そんな私の孤独感を埋めるように娘は

「ママはそのままでいいんだよ」

「ママはいてくれるだけでいいんだよ」

といつも繰り返し言ってくれるのだ。

 

本当は娘に淋しい想いをさせたくない。

私の様になって欲しくない、と強く思っているのに出来ない。

 

こんな達観したことを6才の娘が言うのは普通じゃないかもしれない。

気性が激しい母親をもった娘の処世術なのかもしれない。

だが、いまは娘の優しい言葉をありがたく頂き、娘の小さな体を抱きしめている。
「ありがとう」とう言葉でしか娘を大事だと思う気持ちを表現できない。

 

私は愛を乞うことしかできない母親だ。

愛を与えられる母親になりたかった。

しかし娘が愛を与える役割になっていた。

 

こんな幸福はあっただろうか。

娘はいつか大人になって、私を必要としなくなる。

その時に、母親である私を嫌いになるかも知れない。

そのことが既に怖いのだ。嫌われる自信のようなものがあるから。

 

一方で早く大人になって欲しいと自立を促し、一方でずっとこのまま一緒にいてくれることを望んでいる。

 

1人になりたいと思ながら、娘の眠るベッドに一緒に入ることに安心感を覚えている。

いつか大人になるその日まで、娘が愛を与えられる人間であって欲しいと願っている。

 

こうして書き出してしまえば、少し気持ちが落ち着きを取り戻したように思う