8/20追記:コンビニで「コンビニ人間」のサイン会するそうです!
こんばんは、RIKAです。
近頃「コンビニ人間」の感想を読むことにはまっています。
ところで、このコンビニサイン会凄くシュールでたまらないですね。
「後で後悔する」みたいな重複感がいい!
東京の神保町に近い方は是非。
(って神保町ってどこだろう・・・東京駅より東だろうか・・・東京は渋谷と品川、銀座しか行けないのでその他がわかりません。東京の地下鉄乗りこなせるようになるより、タクシーに乗るお金稼いだ方がはやそうだw)
後にも追加がありますので、一読していただいた方もよかったらご覧ください。
コンビニ人間を読むために「文藝春秋」を初めて買いました。
コンビニの雑誌コーナーの手前に単行本などが置いてあるコーナーがあります。
そこをちらっといたら、「コンビニ人間」の文字が。
受賞したこともありますが、書評を読んだときから気になっていて初めてこういった文芸雑誌?を手に取りました。
あらずじと感想1:主人公は極端だけれど、私も仮面をつけている
初めは研ぎ澄まされたコンビニの音と言う音が、私の日常では聞き分けられられないような細やかな動作の音の描写に心躍りました。
幸田文の「台所のおと」を読んだときと同じ感覚のようで、沸き立つ思いに。
簡単なあらすじはこちら。
第155回(2016年上半期)芥川賞受賞作
36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。
これまで彼氏なし。
オープン当初からスマイルマート日色駅前店で働き続け、
変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。
日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、
清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、
毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。
仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、
完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、
私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。
ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は
「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが……。
現代の実存を問い、
正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。(引用:Amazon)
文藝春秋を書い
— RIKKA (@aoringoame3) August 12, 2016
「コンビニ人間」読みました。
主人公は極端だけれど、誰でもこう言う部分はある気が。面白いか面白くないかといったら、面白いに入ります。ただ、途中から異質はものを見る観客としての興味本位でした。淡々として異質。それがコンビニ人間の気持ち悪い面白さ。#コンビニ人間
ツイッターでも書いた通り、誰にだってこういう部分はあったけれど、社会との摩擦の中で丸くなっていくのが人間だと思っていました。
端から見ると「結婚も就職も叶わない可哀想な36歳女」というカテゴリーに入れたほうが、都合の良いのでしょう。こういう友人が居ればカテゴライズされ、この話題はNGとか腫れ物に触るような勢いになるのはたぶん一般的。
それは「かわいそう」でもない「結婚も就職もちゃんとしてない36歳女」っていうのは、一般的な人生の価値観を脅かす存在ですから。
彼女の幸せの尺度はコンビニ店員であることで、「人間である前にコンビニ人間」と言う言い方はやや世間を煽った衝撃的な一言かもしれません。(小説としての肝なのかも)
ただ書評ですでに読んでしまった自分には、それほどの破壊力はなくて「この文脈で入ってくるのね!」みたいな斜め読みして、十分に楽しめたとは言えなかったかも知れません。
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私にも「コンビニ」ではなく「ママ」という仮面をつけて生きている部分があります。
これを外すとただのナマケモノです。ですが、世間は割と素行の良い娘のママというだけで「偉いね!」「こんないい子育てるなんてすごいね」と褒めてもらえます。
化粧もせず、たらっとした服装をしていても「子育て頑張ってるね」とさえ言われます。子育ても娘メメも全く関係のない話なんですが・・・世間が勝手にいろいろなことを想像して話してくれるのはとても楽ちん。
これは主人公「古倉さん」が妹に「コンビニで36歳独身で働いていてもおかしくない」設定を考えてもらっている感覚に似ていて、共感します。
感想2:思ったよりも衝撃的ではなかったが寒気がした
二度目になりますが、思ったよりも衝撃的ではなく、むしろ自分の中にも主人公「古倉さん」がいるような気がして寒気がしました。
それは、共感した部分しかり、小さい頃のストーリーが私の幼い時期を思い起こしたからです。
ストーリーの中で、公園の小鳥が死んでしまってみんなで「かわいそうかわいそう」と泣いているとき、「焼き鳥に」と主人公が言って怒られるシーンがあります。
超現実的です。別に社会環境がが違えば、それが当たり前かも知れない感覚なのに、主人公の両親が涙して「どうしてこの子はこんな風なんだ」と悲しむシーン。
私は「焼き鳥」とは思いませんでしたが、同じような状況下で小鳥が死んでしまったのは可哀想だけれど「土の栄養になるね」と迂闊にも口走ったことがあります。それですら、嫌悪のまなざしを向けられたのは良く覚えています。
これは言葉足らずで、
悲しいね→小鳥さんのお墓をつくってあげようね→自然に帰るね→土も木も喜ぶね
というのをすっ飛ばしてしまったから、幼い子どもたち(わたしも当時は同じ年ですが)から、奇異の目で見られたんだと思います。
ちょうどこの前ナショナルジオグラフィックのアマゾン側流域に住む部族の狩りについてのドキュメンタリーを見ていた時、娘メメにこんなことを訊かれました。
「どうしてサルをころしちゃうの?」
「食べるためだよ」
「おサルさんかわいそう」
「そうだね。メメも豚肉食べるでしょう?それと同じことなんだよ」
「でもーこわいよ」
「楽しむために生き物を殺してはいけないよ。ただ生きるために生き物の命を頂くこともあるんだよ」
「メメやだーそんなのやだー」
これがフツウの小さな女の子の反応なのかなっと思い、主人公と自分の小さい頃を思い、違いを比べました。
こういう問答にも幼い私は食ってかかるところがあり、「食べ物がなくなったら、人間も食べていいの?」と大人を閉口させてばかりでした。
ただ、ある程度のところで納得することを覚えました。そしてその続きは自分で調べたり、歴史によって考え方が変わることを知ることで、大人たちが答えるのが面倒な部分を補ってきました。
そして奇異の目を向けられる意味もわかったので、そのようなことは口にしないようにできたので、「フツウの人」になれた気がします。
主人公はそこの線引きがわからなかったから、口をつぐみました。そしてそのまま大人になりコンビニという心地のいい空間を見つけたという流れではないかと思います。
感想から話はそれましたが、そういった点において私はフツウの人として変人を観察するようにこのストーリーを見つつも、本質的なところでは共通項を見いだして楽しめました。
感想3:作品そのものよりも作者・村田沙耶香のクレイジーさに惹かれる
作者・村田さんは今でもコンビニに勤めているそうです。
受賞後は不明ですが、作家としてそれなりの地位を得た後もコンビニで働くことが生活の一部になっていると。そして、眠るときも自分ではなく寝る前に妄想のなかで「のび太君」になったりしてから眠る。
「クレイジー村田」
作家仲間からそう呼ばれるのも納得。
まとめ:簡単に言うと読めて良かったw
自分自身を投影することは人によって無理!っていう方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身は投影しつつも、フツウであろう感覚で見たり、行ったり来たりいろんな角度から読むことができて興味深い本でした。
ちなみにたまにはコンビニ人間以外にも文藝春秋にはたくさんの文章が載っていてWEB記事とは違う、紙ベースの文章を読むのも悪くないなっという感覚です。
Kindle版でしたら、コンビニ人間だけでも出てますよ。
2016年8月20日追記
面白い!感じた他のコンビニ人間の感想ブログの感想w
チョコ好きの日記さんのブログ
正直に言いますと、エジプトとかギリシャはよくわからないのです。ただ自分分が間違っているのではなく社会が間違っていると主人公や白羽は思っている、そのスタート地点が間違ったためにうまく適合できないし、する気もない。という思考がよくわかり、私の変な子ども時代の話にそれてしまった感想というより回想より、分析的で聡明な記事だと思います。
是非。
またまた話はそれますが、ここで紹介されている、ルポが前からかなり気になっているので是非見たい。
Letter from Kyotoさんのブログ
割とこの方と感覚が私にはマッチしているのですが、いかんせんPCだと横に文字がずらっと並んで読みにくい・・・。すみません!人のこと言えないですね。
ソコ以外には突っ込みどころのないくらい、そうそう!と思えるところがありました。割と普通の小説だったという感覚の裏付けが「外国にいると感じる日本との文化の差」で、なるほどとうなりましたね。こういう場合の自分の立ち位置を5つのパターン化していて、わかりやすいようなわかりにくいような面白い説明が楽しめます。
また、見つけたら紹介します。
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